吸血鬼達の間で、もはや知らぬ者がおらぬくらいに有名になった、とあるサクセスストーリーがある。

 その吸血鬼は幼少の頃に、塵になる危険を厭わず魔法使いの子供のための学校に通い、そして美味の中の美味、ルビーの中のルビーとも言うべき類稀な血の持ち主を見つけ出したと噂されている。
 その血を味わった者たちが皆口を揃えて言うには、「十年に1人、いや百年に1人の血である。香りも味も喉ごしも舌触りも、何もかもが完璧で背筋がぞっとする程だ。あの血をもう一度飲めるなら、代々伝わるどんな磁器、どんな宝石、どんな屋敷を手放しても惜しくはないのに」と。それほど味のよい人間であるらしかった。

 その吸血鬼と人間は生憎と同性同士であったが、吸血鬼は首尾よく人間を篭絡し、彼は以来その血の持ち主を下僕として屋敷に住まわせているそうである。人間にしては美形のその男は吸血鬼にかしずき、彼の許しがなければ決して他の吸血鬼に咬むことを許さず、甲斐甲斐しく主人の世話をして暮らしているらしい。誰もが羨むような血を独り占めして支配する伝説の吸血鬼。吸血鬼達はその噂話に熱狂した。成功者にあやかれとばかりに、子供をホグワーツに通わせる為に、せっせと手紙を書いて送る吸血鬼の親が急増した。或いは若い吸血鬼が出会いを求めて魔法使いの街に繰り出すというブームも起きた。


「お前にそんな甲斐性があればな」
 本人達もその噂をまったく知らぬ訳ではなかった。ただ、噂の内容があまりにも現実とかけ離れていたので、彼等は無視せざるを得ないのだった。何しろ2人はつい最近まで正真正銘ただの友人同士で、吸血鬼は100%純粋な友情(あるいは努力と言い換えてもいいのだが)に縋って生きていたのだから。
「俺は若い頃から随分楽しい思いができただろうさ。お前に口説かれたり、お前に迫られたり」
 ところでこの話題になると吸血鬼は決まって困った立場に立たされるのだった。自分は決して血を目当てに彼と友達になった訳ではない(だいたい他の人間の血をほとんど飲んだ事のない吸血鬼は、彼の血が他と比べてどうなのかすらよく分かっていないのだ)。だというのに一人歩きした噂の中の自分が、友人を利用して食用に飼っている様子なのにも妙な罪悪感を覚えるし、なにより自分達が「数十年の滑稽な片想い」を続けたのは、それは自分が鈍感だったからだと友人から説教される流れになるのである。なぜか必ず。
 しかしお互いの愛情に気付かないままずっと一緒に暮らし続けていたとしても、それはそれでいいように思える吸血鬼にとって、友人の説教は少し理不尽な気もするのだった。
「今にして思えば、ちょっと半裸になってしがみついたくらいでお前に気持ちが通じたのは奇跡のような気がする」
 明らかに視線を泳がせながら、吸血鬼は謝罪の言葉を口にするタイミングを計りはじめた。いたたまれないという理由もあるが、友人は相手を責めながら自らの言葉に自らが多大なダメージを受けるような人なのだ。
「私にとって君はとても大切な人だから、不誠実なことはしないよ。……ええと、口説いたりとか、迫ったりとか。それは血が目当てでも、私の恋を押し付けるのでも同じことだ」
 丸くなった目でまじまじと見られたので、ああ何か言葉の選び方が悪くて通じなかったかと吸血鬼は困窮した。そして相手の顔やら机の上やらを忙しく見渡したあと、卓上に組まれていた友人の手のひらの上に、音のする勢いで自分のそれを重ねた。そして教授に自信のない回答をした後に結果を待つ子供の頃の表情そのままに、恐る恐る友人を見る。
「お前には」
 思わず吹き出して、彼は首を振った。
「誰かを篭絡するなんて無理だ。何百年経っても無理だ」
 上がっていた友人の目尻が優しくなったのを見て、吸血鬼は単純に嬉しくなる。そんな彼の髪が撫でられた。
「いいけど、なぜ撫でられるのかな私は」
「躾けている。この場合恋人の手を握るのは非常に正しい行為だ。正しい事をしたらすぐに褒めてやらなければお前は忘れるだろう?」
 吸血鬼は少し黙って、そのあと鼻面で彼の手をつつく素振りをした。それは愛玩動物的な何かの物真似のようだった。残念ながらあまり似てはいなかったが、彼等は笑った。他の吸血鬼とは違い、彼はプライドや上下関係に興味がないのだった。どちらがどちらを篭絡したのでも誘惑したのでもよかった。ただしその人物には功労賞が贈られるべきだと彼はそう考えており、おそらくその意見は2人の間で共通のものだった。




吸血鬼とその友人の人生は、
「友情・努力・勝利」ですね、そういえば。

2008.10.31