グリル


 手塚は寝相のいい男だった。
 いや、寝相の無い男だったと表現したほうが正しいかもしれない。
 不二は中学生時代、合宿などで眠っている彼の姿を幾度か見る機会があったのだが、手塚はただただ棒のように横たわるばかりで、目立った動きといえば寝返り程度のものだった。
 それもピンと背を伸ばしたまま測ったかの如く90度、体の向きを変えるだけなのだ。寝付かれぬ夜更けなどにそれを目にすると、不二は「自動で串が回転してバーベキューや肉の塊などを焼き上げるグリル器」を連想せずにはいられなかった。

 そして朝になると手塚は速やかに寝床の上で正座をし、心身ともに澄み渡った風情で枕元の眼鏡を装着する。おそらく彼は生まれてから一度も「もう少しだけ眠っていたい」「起きたくない」「だるい」などという怠惰な感情とは縁がなかったのであろう、と思わせる。それくらい端正な仕草だった。
 一度不二は悪戯心を起して、夜中に彼の眼鏡の位置を合宿部屋の冷蔵庫の上に変えた事がある。次の日の朝、1ミリの狂いもなく前日と同じ動作で眼鏡を掛けようとした手塚の様子を、一通り堪能した後で不二は「誰かが踏みそうだったからあそこへ移したよ、手塚」と告げた。
 『眼鏡がない』
 『なんとしたことだ』
 『ああ、そうなのか』
 という彼の表情の変化は(といっても、その違いは部外者には到底分からない程度の微妙なものであるが)、TVや映画や、もしかするとテニスよりも面白く感じられ、滅多に感情を表に出さない筈の不二であるのに、笑いを堪えるのに彼は大層苦労をした。
 この人はやる事なす事どうしてこんなに面白いのかと、不二は時折そう思うのだった。

 手塚を見ているといつも、得も言われず愉快な気分になるのは、彼本人の所為ではなく観察者である自分に要因があったのだと不二が気付いたのはそれから数年後の事である。


 今、手塚は不二の隣に横たわってあの頃と全く変わりない調子で眠っている。そのグリルのような寝相を見て笑いを堪える不二は、こんなに面白いものを毎晩見られるなんて、自分という人間は全く幸せだなあ、などと考えたりもするのだった。