「ブリット・リード」





 彼は嵐のような男だった。
 まず声が大きい。顔も大きいが体も大きい。手足も。1秒もじっとしておらず、その表情はくるくると変わる。常に何かに驚き、喜び、憤り、拗ね、その度に大声をあげる。数年間、静かに眠っている顔しか見ていなかったので、彼がこんな大騒ぎの権化であったとは知らなかった。
 彼の口調は独特で、舞台役者のように腹から声を出してリズム豊かに滔々と語る。僕は彼の声が嫌いではない。彼が人を褒める時のあの勢いには、いつも惹き込まれる。
 眼を丸くして子供のように手放しで感心する彼の言葉に乗せられて、何故か変な扮装をして、自警団をする羽目になっていた。

 少し前までは、この地味な人生も悪くないと確かに思っていたのだ。特に不満のない給与をもらって、好きな機械整備をしながら、狭いながらも帰る家を持ち。
 路上で生活していた過去を持つ男にしてはなかなかの生活ではないかと満足していた。
 しかし気付けば彼に、特殊装甲車を見せ、書きためたアイディア帳を披露していた。もうお払い箱になったとはいえかつての雇い主にそんなものを見せるのは馬鹿げているし、自分が冷静さを失っているという自覚はあった。しかし彼の手放しの驚きようには抗い難かった。彼が絶対に自分を咎めたり変人扱いしたりしないという不思議な自信もあった。
 そして僕のその予感は当たっていた。

 はしゃいだときの彼にハグされると、大声が耳元と腹から響いてきて、背が折れそうな力で抱きしめられ大きな体に覆われんばかりになり、体臭と香水の匂いにすっぽりとくるまれ、竜巻に攫われた人のようになってしまう。もういい加減慣れてもいいと思うのだが、相変わらず彼は僕の作製するあれやこれやに心底感心するらしい。
 それと僕の淹れるカプチーノにも。
 もう僕は彼の使用人ではないから、完全なサービスで淹れてやったそれを受け取って、彼は心から幸せそうな顔をして香りを確認する。

 今でも僕は必要もないのに彼の屋敷を朝に訪れる。口実としては彼が寝坊しないように。
 しかし本当のところは、ひよこのように口をとがらせて無心にカプチーノを飲む彼、大きな彼が背を丸めて少し小さくなり、まったく黙り込んで静かになる唯一の瞬間が好きだからだ。






   「カトー」





 男の子なら必ず、誰かしらに一度は貰うスイスの定番土産アーミーナイフ。カトーはあれに似ている。
 ともかく色々な機能がぎっしり付いていて、正直何に使うのか分からないギミックもあるし、小さすぎて使えないだろうこれはという道具もある。でもあれは男児のロマンだ。ポケットにずっしり重いあのナイフが入っていると、なにか自分が冒険の渦中にいるかのようなわくわくした気持ちになったものだ。
 カトーにも色々な機能がぎっしり付いている。特殊装甲車を数日のうちに何台も作るし、銃器を自作する。格闘の達人だ。絵も上手い。ピアノも鳴らせる。歌声がきれいだ。彼のカプチーノは絶品だ。そして赤い服をよく着ている。まさにアーミーナイフだ。持ち主の名前を彫れないのが不思議なくらいだ。

 でもカトーはそれを誇らない。
 アメリカの男なら誰でも、カトー並に色々な事が出来たらきっと、半径4マイルに響き渡れとばかりに主張するだろう。「俺は凄い!俺は凄い!俺は凄い!」胸を張って歯を光らせてアピールする。態度にも言動にも滲み出る筈だ。俺ならそうなる。
 だが何故かカトーはそうしない。スポーツカーが「よう!そこのハナタレ!この俺のV型8気筒エンジン音、聞いてみるか?いかすぜ?」などと喋ったりしないように、カトーは自分に無頓着だ。車庫の暗がりでじっと乗り手を待つ高級車のように。
 東洋人が皆そうなのか、カトーが特別なのかは分からない。

 話には聞いていたが東洋人には体臭がない。ハグしても、首筋に鼻面を埋めて深呼吸してさえカトーからは何の匂いもしない(これをするとものすごく嫌がられるけど)。不思議だ。目の前にいるのにいないみたいだ。そして目も鼻も頭も指も何もかもが小さく出来ている。まるでミニチュアだ。
 しかし小さい東洋人カトーが脆弱かといえばそうではなく、彼は俺を軽々とふっ飛ばす。体重差はどのくらいだったかな。20ポンドか30ポンド。勿論俺の方が重い。信じられないだろう?
 拳法の達人であるカトーはスパイディーやバットマンのように、いやいっそピーターパンやダンボのような、現実にはありえない動き方をする。人や車をぽんと飛び越え、垂直水平色々な角度に回転し、大男を藁人形のようになぎ倒す。戦っている時の彼は地面に足が付いていない。ように見える。

 大抵のアメリカ人には同意いただけると思うが、どうしてこれで尊大にならずにいられるのか俺には理解できない。そもそもカトーは感情表現に乏しいので、俺は彼がが何を考えているのか分からない。いや、分からなかった。自分の話をしない、しても精々10秒で終了するカトー相手に、俺は刑事コロンボのように粘りに粘って話を引き延ばし、カトーとたくさん話をした。そしてようやく最近分かるようになってきた。ちょっとだけ笑ったカトーが内心ものすごく嬉しがっている事を。ちょっとだけ眉をひそめたとき、実はものすごく怒っている事を。或いは笑顔のまま悲しんでいたり、悪態をついていても喜んでいたり。俺のようにオーバーアクションで大声で主張する訳ではなくても、感情はちゃんとあるのだ。分かりにくいので時々腹は立つけどね。

 万能だけど意地っ張りだ。強いけど泳げない。そっけないけど友達想いだ。美人が好きだけど、実は押しに弱い。複雑で変だけど魅力的だ。
 一言で言うなら、そう、「チャーミング」。
 やっぱりカトーにはこの言葉がぴったりだと俺は思う。