家 族


 ハリーは時折、これが夢ではないかと思う事がある。
 目が覚めるとあの階段の下の埃っぽい部屋の中にいて、叔母さんの甲高い怒鳴り声がしているのではないかと。
 魔法学校に入学して2人の親友を持てた事も、クィディッチという最高に面白いスポーツに巡り合えた事も、ダーズリー家を出て大好きな人達と暮らせるようになったのも、考えてみれば信じ難いほどの幸運である。
 それこそ夢のように。
 学期の終わりにハリーがこの世の終わりの気分を味わう事はもうない。学校の生活も楽しいが、『家』での生活もそれに負けないくらいに楽しかった。
 2人はいつも乗換えの小さな駅まで迎えに来てくれる。ホームに所在無さげに立つ男性と小山ほどもある犬の姿を見ると、ハリーは表情のコントロールが出来なくなって、口元が緩みっぱなしになるのだ。
 3人での生活は風変わりだった。それぞれにまったく違った環境で育ったせいで習慣がくい違い、妙な折衷の規則が出来上がっていた。例えば食に関してはシリウスの、住に関してはルーピンの意見が重要視された(これを逆にすると大変な事になるのは火を見るより明らかだったので)。無論、何に関してもハリーの希望が最優先なのは2人の間で決定しているらしかった。
 毎朝決まって3人で散歩に出かけた。同居人の一人は人に姿を見られるのが好ましくなかったので早朝に。ハリーは大人との散歩を恒常にしたことなど一度もなかったので最初は歩調にも話題にも気を配っていたのだが、すぐに慣れた。町で1軒のスタンドに必ず寄って、それぞれ珈琲と紅茶とココアを注文する。珈琲の湯気が流れて、少しだけ背を丸めてそれを見ているシリウスの目は彼の犬の姿の時のそれを思わせた。この時間の大人2人は本当にぼんやりしていて、よく頓珍漢な受け答えをしてハリーを笑わせる。遠慮して無理に散歩をしなくてもいいのではないかと言ってみても「散歩は体に良い」と大人2人は譲らないのだ。
 1日中、誰もハリーに庭の草を刈るように命令しなかったし、パンケーキを焼けとも言わなかった。不安になって何か雑用をしようとすると、必ずどちらかが現れてハリーから仕事を奪う。
 昨年からこの家にはTVがある。せっかくマグルの町にいるのだからとシリウスが通販で買ったのだ。どうやらこれに関しては2人の間で物議を醸したらしく彼らは言葉を濁すのだが、結局はどちらかが折れたのかTVは今年も居間に鎮座している。
 しかし意外にもTVを夢中で見るのはシリウスだった。特に動物の出てくる番組がお気に入りらしい。真剣に見ているプログラムの途中で別の短い番組が入るんだと憤るシリウスに、ハリーはコマーシャルというシステムを説明しなければならなかった。3人で番組を見ているとルーピンがそっとハリーをつつく。彼の指し示す方向を見ると、シリウスの片手が、すでに空になったスナック用のボウルの中を彷徨っている。彼は画面に集中しているので気付かない。ルーピンとハリーはそれぞれ口を覆って笑わなければならなかった。
 2人ともいつもにこにこと笑ってハリーを見る。食卓では一番大きなピースは必ずハリーの皿に入れられたし、ハリーが話す事はどんなにくだらない内容でも大変な熱意を持って耳を傾けてくれた。2人の愛情と関心は間違いなくハリーの上にあった。それを自惚れや勘違いでないと自覚するたびハリーは不安になる。怒鳴る人や嫌味を言う人、陥れようと画策する人がこの家にはいないので。彼はそういう環境に慣れていないのだ。


 夜になるとハリーの不安は最高潮に達する。もうすっかり眠る準備を整えたハリーの部屋へシリウスが姿を現す。おやすみのキスをするために。
「いい夢を、ハリー」
 一日中の全ての動作の中で一番優雅に、シリウスはハリーの額に接吻する。しかしハリーはどうすればいいか分からずどぎまぎする。はたして目を開けていたらいいのか、閉じていればいいのか。開けていた場合、シリウスを見ればいいのかよそを向いているべきなのか。毎年ロンに尋ねようとは思うのだが、ためらう内に今年になってしまった。普通の子供はこんな事で悩まないだろうなと滑稽な気分になる。
 シリウスとほとんど入れ替わりに、ルーピンが扉から入って来た。普通の家の子供はこうやって一晩に2回も掛け布を直してもらって、おやすみのキスをされるんだと知識で知ってはいても実際に自分が経験すると妙にいたたまれなくなるハリーである。しかしもちろん不愉快なのではない。その逆だ。
「子供扱いをするなと」
 相変わらず痩せてはいるが、もう彼は病的には見えない。いつもハリーに向けられている幸せそうな笑顔でルーピンは呟いた。
「君は思うかもしれないけど、しばらくは私達の感傷につきあってくれると嬉しいよハリー。ジェームズとリリーが君へしたであろう何千回、何万回のキスの代わりを」
 子ども扱いをするな、などとは毛の先程も考えなかった、考えつきすらしなかったハリーは驚いてルーピンを見上げる。優しく唇が額に降りてきた。
「あの、先生!僕は……!」
 気持ちを伝えたいと強くハリーは思ったが、あまりに複雑すぎて言葉がまとまらない。2人をとても愛している事。2人への感謝の気持ち。それをどういう風に表すのが普通なのかを知らない劣等感。目の前にある幸福に手を伸ばす事への畏れ。こんな時どうすればいいのか誰も教えてくれなかったし学校でも習っていない。
 ルーピンは笑顔のままハリーの言葉を待っている。おそらくハリーが望めば夜明けまでも静かに微笑んでそうしているのだろう。
「違うんです……僕は……あの、なんて言ったらいいのかな……」
 ルーピンは悪戯っぽく笑って自分の右頬をちょんと指した。最初は意味が取れずに呆けていたハリーだが、やがていかにも自信がなさそうにおずおずと、ルーピンの首に手を回し右頬にキスをした。
 長い指で髪が撫でられる。ルーピンはハリーの唇が触れた箇所に手を当て目を閉じた。その表情を見て、そして額の、2人にキスを受けたところがぼんやりと暖かいのに気づいて、ハリーは確かに伝えられたと感じた。

 誰かと幸せに暮らすというのがどういうものかが、ほんの少しだけ見えた気がしたことや。きっとこれから2人と暮らすうちにもっと分かるようになるだろうという予感。はっきりと形にならない何か素敵な気分を抱えたまま、ハリーはその夜眠りについた。




どうでもいいがこの後シリルーは喧嘩する。
「ハリーがキスしてくれたよ」(余裕の笑み)
「何っ!」(青筋) みたいな。ますますどうでもいいですが
私の書くニセ家族は すべてハリー総攻めです。
動物は子供に弱いと昔から決まっとる!

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