「スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース」










ホアキン・ドス・サントス監督
ケンプ・パワーズ監督
ジャスティン・K・トンプソン監督

デヴィッド・カラハム脚本
フィル・ロード脚本
クリス・ミラー脚本

視覚的にすごいことをやってやるという気概にあふれたシリーズ。
「スパイダーマン スパイダーバース」の続編。
デザインが根本から違うキャラクターたちが
同じ画面で動く趣向は今回も続いていて、
私は素人なので理解に限度があるが、
絵を描く人達の感想がとくに面白かった。

一瞬邂逅した仲間たちとの絆を胸に秘め
ヒーロー活動を続けるグウェンとマイルスだったが、
どちらも親にすべてを告げられないのを心苦しく思っていた。
そんな折に、トラブルが起こり再び彼らは邂逅する…というあらすじ。

今回は、マイルスとグウェンがダブル主役くらいの時間配分。

これは前編で、後編に続きます。
私はタイトルで次作に続くことをまったく示唆しない二部作は許せない性質ですが
これはぐぬぬぬ……って思いながら許した。面白いので。

ラストばれ

ダ・ヴィンチ風ヴァルチャーとか「これ…骨が入ってるやつ?それとも手描き…?」
「え?え?」って目が釘付けだった。

マイルスも観客も「ザコ」だと思ったスポットが
(筋肉マンに、顔に穴が空いたひとがいたな…などと回想した)
マジヤバイスゴイサイコパスで洒落にならなくなっていく展開、ゾワゾワした。
序盤のヴィラン過去語りを強制キャンセルするコメディシーンでハハハって笑いましたけど、
後で考えるに、あそこできちんと話を聞いておけば180分で映画が終了した気もする。
この、話をちゃんとする、聞くというのは何度も繰り返され、
マイルス、グウェン、それぞれの親への能力の秘匿であったり、
アース42の話を知っていて黙っていたのかという叱責がブーメランとなってマイルスにぶっ刺さったりもした。

それにしてもレゴ版(脚本の癖)や古いアニメ版や英国人スパイディや(いいやつ)
インド人スパイディ(「コーヒー・コーヒーって言う?」笑った。スタバとか商品名チャイティーですね)、
ベノムのコンビニのマダムまで縦横無尽に出るわ出るわ(ストレンジ先生はdisられてました)、
スパイディたちが一斉にスゥイングするところは、わっ蜘蛛だ…って思いましたね。
スパイダーマンの悲劇については トム・ホランド版が本当に無慈悲だったので、
ピータ・パーカーは大切な人全員をシェルターに監禁しろ!と思わなくもないですが、
ピーター・パーカーの存在そのものが悲劇とセットで、
悲劇によってスパイダーバースが結びついているって、それはもう特級の呪いじゃないか。
ところでトム・ホランド版といえば、作中でマイルスが初めてソサエティを訪問した時、
色々なスパイディが登場する中「それって僕のこと?」 って聞いた子が
トムホヨ…?って思ったんですが今回彼って出てないんですね。あれれ???

2099、軌道エレベータ(たぶん)の運用が始まってる感じで、少し驚きました。
パンデミックと戦争がなければ弊アースでも可能だったかな…?

前編はグウェンに始まってグウェンで終わったので、
後編はマイルスで始まってマイルスが締めるのかも…。
ただひとつ確信しているのは、オスカー・アイザックが声を演じているミゲルが、
めちゃくちゃ酷い目に遭わされるだろうということです。
でなければあんなに無駄に色っぽい声と顔をしてるわけないもん!

どうでもいいんだけど、
手がぴこぴこ動くタイプの招き猫、MCU作品にでてくるのはこれで3回目なんだけど
なにか意味があるの?ないの?どうなの?


「ザ・フラッシュ」と「アクロス・ザ・スパイダーバース」両方のねたばれ

「パワーを得た、家族思いで大人未満の青少年が、多重世界で活躍する」
「悲劇的な出来事が彼をヒーローたらしめる」
などの一定条件下ではエピソードの最適解があって、
能力のある人はそれが出せるので、今回どちらも同じ解をちゃんと出している。
しかしそのために、エピソードがいくつかかぶっている。
連続で見ると記憶が混ざってしまいそうになる。
ビルの倒壊から人を守るシーンで能力を魅力的に見せるなどの偶然のシーンかぶりもある。
あと終盤のサプライズの1つが同じなので、片方を見るともう片方のラストが類推できる。
フラッシュの公開時期がずれこまなければなあ…という感じです。

でも私は今回「最適解にも優劣がある」ということが分かって興奮しました。
最適解なのに優劣があるんですよ…?たとえるなら数ミリ、0.1秒の世界ですよ。
(白目ろくろ)










2023.06.19 サイトに掲載

2024.05.07 再掲載





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