「 映画 えんとつ町のプペル 」










西野亮廣さんの絵本を原作としたアニメ映画。
まず、映画の内容とは関係ない西野さんの話をしますが、
私の知識的にはオンラインサロンをなさっているかたで、
彼に感化された人は一様にポジティブな、
「皆に感謝」「ネガティブなことばかり言う人は相手にできない」
てきな改行多用ブログを書く…。
まあポジティブなのはいいことだが、
彼等の言う「ネガティブ」は、自分たちへの批判も含まれる…という感じです。
そして 「西野があなたを意識する権」のクラウドファンディングを一口1万円で募ったら、
123人が支援したというニュースが昨年話題になってました。
なので、私の映画感想には、かなりバイアスがかかっているのを前もって書いておきます。

ざっと見た感じ、西野さんは架空の物語にそれほど執着があるタイプではない。
でも頭が良くて、人気作品を数本見ただけで分析、再生産(パクリではないレベルで)
できる人なのでは…?と思いました。
(参考にされた作品の中に「ベイマックス」がある気がする)
所々歌の演出があり、都市は色鮮やかで背景画が美麗、悪人は多くなくて、
深刻な貧困や憎悪などは描かれない。友達のいない子供に友達ができる超鉄板の話です。

ラストまでばれ

煙に覆われた街で空の星を見ようとする主人公なのですが、
彼等を理解せずに馬鹿にする街の連中と、夢を諦めない純粋な父子…というところにも、
私が深読みしてしまってどうもいけません(笑)。
でも時間が経つと腐る金という素晴らしい技術のお陰で
皆がどんどんお金を使うので、街は活気にあふれたというところは、
(朝に買ったものが夕方には倍の価格になっている)
スーパーインフレやないか…とつっこみました。

ところで、紆余曲折のすえに友達になったプペルとルビッチですが、
結局プペルは失踪した父親(の魂を継承した何か)
だったことが判明したあといなくなります。
私はここに、西野さんの物語への依存度ゼロっぷりを見せつけられたのですが、
現世に友達が100人くらいいる人は気にならんかもしれないが
たとえ架空の存在でも親は親、友達は友達で仕分けてほしい…。
ドラえもんが実はのび太のパパさんだったら、なんか嫌じゃないですか…。
友情だと思ってた一切が庇護欲によるものだったとか…。
(実は先祖だったとか祖母だったとか、そういうファンタジーは普通にありますが、
特に世界でボロボロになっている子供の唯一の理解者で親友は、親であってほしくない。
これはなんか感覚的な基準です)








2022.05.25 サイトに掲載

2023.05.07 再掲載





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