「ジョーカー」










精神疾患を抱えて母と2人貧しく暮らすアーサー・フレックは、
ピエロに扮して日銭を稼ぎながらコメディアンを目指していた。
しかし国の福祉の予算縮小によりカウンセリングのサービスを受けられなくなり、
薬の入手もままならず、とうとう失業してしまったアーサーは追い詰められ…
というあらすじ。

見る人の年齢や経済状態や心身疾患の有無で感想の変わる映画。
アメリカでは(以前「ダークナイトライジング」プレミア上映会で
ジョーカーに感化された青年が銃を乱射した事件も踏まえて)
暴動を警戒して、劇場に警官が配備されたと聞きます。

作るなら今この時しかない、最高のタイミングの話だった。
貧富の差が拡大して、どこの社会も貧者を弱らせて殺して、
国の負担を減らそうとしているのではないかという厳しい状況で
強い共感を得られる映画だと思う。

「社会が差別に敏感になったいま、昔のようなコメディは作れない。
だからこの映画を撮った」というような意味の事を監督が述べて、
本国でちょっと燃えた。
(差別にうるさくなったからコメディが作れない!と解釈された)

おちばれ

私は、バットマンの、あの路地裏の出来事の意味合いを、
この映画が変えてしまったところに
おお!っと思いました。すべては主観なので、きっとどれも正しい。
今後もあの路地裏のシーンは撮られるでしょうけど
私はそれを見るたびにこの映画を思い出すでしょう。

同じ階の女性に関して、リプレイして説明したのは
とっても分かりやすくて、多くの人の理解を助けただろうけど、
解釈の幅を狭めてしまったようにも思う。
最初から最後まで全部でたらめ、
最初から最後まで全部本当、どちらのルートも残しておいてほしかった。

優しくしてくれたのはお前だけだ。だから殺さない、というのは
津山三十人殺しの犯人が実際に言った言葉を彷彿とさせたけど、
あれも幻覚だったら素敵だなと思って。

トッド・フィリップス監督の作品に「ハングオーバー!」シリーズがあります。
あれに出てくるアランは、発達障害、鬱病と診断されているが、
裕福な家に生まれ、気にかけてくれる肉親と、
どれだけ加害しても味方になってくれる仲間に恵まれた男性なので、
別アースの幸せなアーサー・フレックだと私は思う。
あとトッド・フィリップス監督のジョークセンスって差別というより
お下劣が8割なので、時流は関係ない気がする。
強いて言えば、お下劣ジョークは徐々に受けなくなってるかなー?くらいの。

殺したいと思った時に、簡単に殺せる道具が傍にあるっていうのが、
そもそも精神にすごい負担をかけるんじゃないかしらと思います。
吹き矢じゃだめかしらアメリカ(ゴッサム)市民?
そして、心身に特に問題なくても日本の普通の独身者は、
あんな広いお家で、あんな凝ったセンスの調度品に囲まれて
生活するのは難しいのでは?
アーサー以上のストレスを仕事で受けている人が多いのでは?
日本が銃社会じゃなかったお蔭で一部の人は命拾いしたなと思います。

あと「このどすこい人はアルフレッド…?ちがうわ弱いもん…」
って思ったら、エンドクレジットにアルフレッド・ペニーワースってあって
解釈違いでした(笑)。従軍経験のないアルフレッドなんだろうか。

余談ですが私と同じ疑問を持った人の無駄を省くために書いておくと
ジョーカーの昇り降りしていた階段は
映画「エクソシスト」に登場した階段、所謂Exorcist Stepsとは違うようです。
エクソシストが38.905601, -77.070191
ジョーカーが40.835996, -73.924215
まあエクソシストで神父は階段から落ちるけど、
結局は1も3も悪魔に打ち勝つ話だもんね。










2019.10.07 サイトに掲載

2020.01.01 再掲載





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