「ハウス・ジャック・ビルト」









R−18

ラース・フォン・トリアー監督

殺人鬼ジャックが
過去に殺した女たちの話を老人に語る話。
小動物への虐待、子供、女の残酷な殺害、
死体の激しい損壊、冒涜、様々な要素を含みます。
あとウルトラギャラクティカマグナムミソジニー映画なのでご注意。
(昔はちょっとは隠してあったけど最近はもう丸出し)
(男性の被害者に知性はあるが、女性は全員足りない風に撮られている)
(あと女性の犯罪被害について超理論が展開する)

実際のシリアルキラーの詳細な回顧録よりも
この架空の映画のほうがリアルで刺激的かもしれない。
それは単にシリアルキラーは表現の天才じゃないって事なんだけども。
しかしこの作品の核はグロ描写じゃなくて、
この世あると言われている愛とか善とか、それらは存在しなくて、
便宜上善良な人といわれているあれは実は単なるバカで、
この世はバカと、多くの性悪なバカと、
少数の性悪な利巧しかいない最悪の場所だから、
みんな全てを憎め、さっさと殺すか死ぬかしろ、
ワシのこの苛立ちと絶望を、類まれなこの才能で共感させてやる、という
メッセージ性、圧力だと思う。

さすがに監督もお年なので、若干支配力は衰えてきて、
それを残虐性で補おうとしている風に感じられた。

内容ばれ

鈍ったのか?って思ったのは、
例えば狩猟のエピソードからスッと切れ味鋭いラストにつなげていれば、
世界中の影響されやすいイキったひとが複数
ジャックなりきりで女を殺すほどの強い影響力があったと思うけど、
エピローグがかつてないほど無駄冗長グダグダで、
いい具合に気が抜けたラストで大丈夫そうだし、
あと老人への告白っていう形式は前作でも使ったし、
(わざとかもだけど)
肝心のジャックの家は、初見なら感嘆しただろうけど、
もう類似品をドラマ版「ハンニバル」で見てるからな…
美術ではあっちに軍配が上がるし…とか色々。
(あとブレイクもグールドもレクター博士のシリーズに出てくるね)

でも潔癖症コントとか、
コントの音楽に凡人はユーモラスな曲を合わせて過剰にしてしまうところを
打楽器のみにするという渋いセンス、
死体写真アートにコメディ要素を取り入れたって自分で悦に入るジャック、
果実まるごとすりおろし国道、
きちんと分類されている獲物の鳥瞰、
あのあたりの尖り具合はさすがだなって感じでした。

帰ってから「ダンテの小舟」と間違い探しをしたけど
川の男性のハンサム平均値がさりげなく上がっていた気がする(笑)
あとダンテが影響を受けた詩人だから「神曲」に出ただけで、
別にウェルギリウスは地獄の案内人を仕事にしている訳じゃないよ…。
迷惑よ…。
(あっでも中の人が「ベルリン・天使の詩」で天使を演じたから、
それも重ねているという説をネットで読みました。なるほど)
(ブルーノ・ガンツ氏はこの映画のあと3本ほど撮って、亡くなられたようです)










2019.06.27 サイトに掲載

2020.01.01 再掲載





戻る