「進撃の巨人 実写版 前篇」








樋口真嗣 監督

巨人という謎の生物から逃れて壁の中の世界で暮らす人間たちと、
その運命に抗い、世界の成り立ちの謎を解き明かす主人公の物語、
いまや講談社の看板漫画となった「進撃の巨人」がとうとう実写映画化されました。

が、残念ながらちょっと、こう、原作ファン&映画ファン共に炎上気味になる出来で、
何て言うか、あれな感じになっているようです。

・原作のキャラクターとオリジナルキャラクターの両方がいる。
・全員日本人で、舞台もたぶんアナザー日本。
・登場人物のほとんどが短気・アホ・衝動的。
・登場人物のうち1名が耐えがたいくらい寒い。

このへん乗り越えられる勇者だけが劇場に行く方がよさそうです。
伝説の映画「デビルマン」を越えるかな!?と思ったのですが、それほどではないです。
何故かというと原作のエピソードをそのまま使ったシーンがおもしろいから。
あと巨人の描写はさすがに凄いです。
人間がエビフライのようにブチーンと噛み切られます。
それでも、さすがに私の年内ワースト作品くらいにはなりそうですけども…。

内容ばれ(褒めてない。一部分ちょっと怒っています)

出てくる皆さんは、わりと感情移入が難しい変わった人が多くて、
主人公からしてそうなんですが、
人間の声に反応する巨人が周囲にいるかもしれないのに、
ミカサを他の男に取られたショックで作戦行動中に
大声で絶叫したりします。
というか作戦行動中ですがやたら休憩時間が長くて、
ピアノを弾いて遊んだり、リンゴを食べながらお喋りしたり、
カップルが本番行為を始めたり、人妻が主人公を体で誘惑したりします。
君たち本気で巨人をどうにかする気はあるのか?

女性キャラクターは特にひどくて、
ハンジさん以外の女性には知能がありませんでした。
作戦行動中に「子供の声が聞こえる…」って制止を無視して勝手に隊を離れて
案の定幼児型の巨人に襲われて仲間を危険にさらす未亡人。
前述のように突然主人公に生胸を揉ませて「子供の父親になって」と迫る未亡人。
「え…?」とか「あ…?」とかばかりで殆ど喋らないので、
頭がどうにかなった設定かと思ったサシャ。
彼ピッピ(夫?)を巨人に殺されて逆上し
壁の修復に必要な、最後の貴重な爆薬を使って巨人に特攻する女。

そして今回リヴァイ兵長は出てこなくて、代わりに最強の兵士として
シキシマという中年のおっさんが登場します。
インタビューによれば監督にとってエレンとシキシマは
「かつての自分と今の自分」なのだそうです。
このおっさんが、想像を絶する寒さ。
なんか強いんですよ。強いんですけど油断するとすぐポエムをつぶやくんです。
そしてニヤニヤしてるんです。あっ中2!そう中2病だこれ!
あと関係ないけど出陣する時、後ろに控えているミカサがマントを着せるんですが、
マントくらい自分で着ろ。園児か。
後篇は脚本家さん曰くシキエレだそうなので、
たぶんこの中年のおっさんも巨人だったりして、
エレンに「俺と共に生きよう」とか言ったりしちゃうのでしょう。

今回の脚本は町山智浩さんという方と、渡辺雄介さんという方がなさってます。
町山さんは有名な映画評論家さんで、
私も時々ネットでご意見を目にしたり耳にしたりして、
なるほど!と啓蒙されたりしてましたが…
しかし映画の登場人物の知能の低さが観客のストレスになる事は
過去に仰っていた筈なのに、なぜ今回の映画はあれなのか。
なんであんなに唐突で寒いダンテの引用やニーチェの引用をするのか。
書いたのが中高生なら分かるんだけど!
(渡辺雄介さんは「ガッチャマン」の脚本のかたなので
どっちの責任かちょっと決めかねる感じですけども…)
ちなみに作戦遂行中の休憩時間に本番行為をおっ始める男女は
過去の名作戦争映画を参考にしたそうです…わあ、そうですか…。

ただちょっとムカっとしたのは、
脚本家のかたが映画公開前に、諫山先生との打ち合わせ内容を
公表しておられた、その表現です。

「ご本人が。それで、『もし映画化するんだったら、エレンを非常にリアルな、
巨人を見ると恐怖で身動きもできなくなっちゃうような青年として描いてくれ』
という要望があったんですよ。」

「これで炎上する可能性があるんですよ。すごく。今回の試写で。」

「根本的な部分だから、これ、全部書き直しになったんですけど。その後。」

なんていうか、これ批評されたら諫山先生のせいだし、諫山先生の発言で全部書き直したって
そういうふうな文脈に思えるし、あとあの遠慮がちな先生が
そんなハードルを上げて退路を断つような言い方をするかな…?と思って。
「できるなら」とか「もしよかったら」とかそういう言葉が前後に付いたんじゃないの…?
と思ってしまいました。
(あ、でも諫山先生の担当の編集さんも殆ど新人で、2人揃ってイケメンで、
そのイケメン新人コンビが講談社の救世主になったという話は面白かったです)

しかしこういう映画が爆誕すると、確実に楽しいネタ記事を量産して下さる色々な有名映画サイトさんが
今回はえらく歯切れが悪くて、ああ、こういう世界にも人付き合いってあるんだな…
ってちょっと地蔵顔になりました。




最近映画やアニメを見ていて、「(新作なのに)古いなー」って
思う事が時々あるんですが、
そのたびに「うーん、でも古いって悪い事かな…?」って自問します。
誰でも意見を書きこめるポータルサイト的なところでも、
映画に関して時々論争になっています。
「感性が古い」という書き込みに対する反論は
「新しい・古いだけが面白さの基準じゃない」
「欧米的な価値観が無条件で優れていると考えるのはどうか」
みたいな感じです。
確かにそうですね。

最近アメリカの娯楽映画では、
職業・性別・民族・宗教・人種・年齢による不当な差別偏見表現を
極力排除する方向へ急速に進んでいて、
それは結果的に多くの人間が楽しめるようになることで、業績を上げています。
それに逆行して、たとえばマッド・マックス評ですが
「女の隊長なんか不要だった。老女部隊も要らない。
美女5人の凌辱シーンがないのはリアルじゃない。
マックスが美女5人を助けてハーレムエンドにしないのは監督が老人だから。
なので新作マッド・マックスは駄作!」
っていう意見は現実的ではないですし、
悪ではないにしろ重要視はされないでしょう。

古いものが好き、というだけなら勿論悪じゃないです。
「昔の映画みたいに、女は役立たずで、
主人公はピンチの美女を救ってハッピーエンド!なのが好き」
これは個人の好みだから全くOKです。
作り手としても、古いのは分かってるけど自分の作りたいものはこれ!
という姿勢ならいいと思う。
でも
「昭和の特撮こそが本物で、
平成の特撮はイケメン出して女を釣ってるだけの学芸会」
とか、
「タイバニとやらはアメコミを模倣しようとした失敗作で、
登場人物や物語がアメコミの足元にも及ばないくらい薄っぺらい」
とか、(元になるブログがあるのですが検索できぬよう文章は変えました)
その手の
昔の作品こそが至高で、新しいのはくだらぬ、稚拙な物である。
という考え、意見は
「お使いのブラウザが古いかあまり一般的でないため、
標準がサポートされていないようです」
というやつじゃないのかなーと、思ったりします。

さて、では実写進撃に戻りましょう。
2013年に「パシフィック・リム」という映画がありました。
その映画のヒロイン、マコについて監督のギレルモ・デル・トロは
「このマコという役には、とにかく強烈な個性を持たせたかったのです。
ローリー(チャーリー・ハナム演じる主役)と同等の立場で
この映画を締めくくれるような、
二人が恋愛関係にならなくてもおかしくないような、
個性を持った女性にしたかったのです。
普通、若い日本人女性が出ると聞くと、
超色っぽいすらりとした露出の多い女の子が
5分おきに濡れたTシャツで登場するようなことを想像すると思うけど、
そういうタイプではないので。(略)
とにかくセックス対象か男みたいな女性のどちらにもしたくなかったです。
アクション映画に出てくる女性はみんなそうなってしまいますからね」
と語っています。
(5分おきに濡れたTシャツで登場するってどんな映画ですかトトロ監督/笑)
その「パシフィック・リム」を見た樋口監督が(進撃の監督です)
「いいかギレルモ!仲間と信じてこっそり教えてやる!
健全な日本男子はピンチにおちいった女子パイロットをローアングルで撮るんだよ!
衰えぬ闘志は前のめりのポーズで!利き目を設定して顔の向きを捻じりつつ
目線は真っ直ぐに!背骨は絶えずS字を描け!注視点は太腿だ!異論は認めん!GO!」
とツイッターに書いてます(炎上してのちに削除)。

感性が古いのは悪ではないが、自分の古さを自覚しているのが望ましい、
というのが私の結論です。




ネットでの余計な発言

「作品と作者の人格は別だから絶対気にしちゃだめ!」
って思うように常々努力してるんですが、
今回の実写進撃で、製作者の皆さんが
「大大大好きな原作を映像化しようとがんばったんですが
全然及ばなかったので、改めて原作の凄さを再確認しました。
でも、存在したかもしれない別世界の進撃として楽しんでもらえたら」
っていう態度、もしくはネットへの書き込みをなさっていたら…
とか考えてしまって、
わーやっぱり私も謙虚大好き日本人だーとか、ちょっと反省しました。

しかし監督は酷評した評論家にぶち切れ、
「というか誰だよこいつに試写状を送ったバカは!」と発言、
これは「友達まで公開」にしたフェイスブックの発言を、ネットに流されたそうで、同情しますが。

特殊造形プロデューサーは
「みんな映画はハリウッドがいいんだね!じゃあハリウッド映画だけ観ればいいよ!
予算と技術はある方がいいもんね!特に予算!
金で顔叩かれた映画を観ればいいと思います!
ハリウッド日本比較の人はそれが気持ちいいんでしょう?」と捨て台詞、

dTV版音楽スタッフは
「この期に及んでもまだ原作がどうしたこうしたって言ってるほんとーーに
大脳皮質コンクリ固めなみなさん、いっそ怒りまくって脳みそ破裂させてください(^-^) 」
と煽りまくり、

泥沼の状況です。
製作者はネットを見ない・書きこまない、勇気と自制心も
今後は必要になってくると思うんですよ…。



ところで映画の予算の話ですが
ナタリ監督「CUBE」は制作費約3000万円ほど。
ロドリゲス監督の「エル・マリアッチ」は70万円。
ノーラン監督のデビュー作「フォロウィング」も100万未満です。
3本とも大好きですよ私。









2015.08.16 サイトに掲載

2015.12.30 再掲載





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