「イノセンス」 私はあらすじを追って走るのに無上の喜びを感じるタイプですが、 押井監督がそうでないのを知っています。 なので攻性防壁でゴーストを焼かれたトグサの内的世界が30分間とか 覚悟していたのですが、 なんとあらすじがあったのです!! 監督にしてみれば一歩一歩が苦痛な人魚姫状態だったのではないかと拝察します。 それでもあらすじがあった! アクションもあり、ラブロマンスがあり、ラストもあった! その代わり、都市択捉のシーンでは何かが暴発していました。 キムの館では暴走していました。 画面の中のものすべてが動いており、光源があり、 空気が流れていました。手間を考えると発狂する。 総じて「作品レベルを上げるためなら人が死んでもいい」全開の仕事ですね。 カメラを廻したいから、コンビニにある商品をす・べ・て3Dデータに起こす。 だからその数分のシーンの作画に1年かける。とかねー……。 実写で撮ってエフェクトをかけるよ…私なら。 動く画集としても価値ありです。キャラクタに思い入れがある人なら、 恋愛ものとしても楽しめる。 オチについて いきなり原作の話に帰着されてたまげた。「え!!あの話かよ!」みたいな。 色々考えたこと(カッ飛ばすので、原作を読んだ方のみ) 絶望的な状況やらネガティブな何かは、 笑いととても住所が近いと思います。 監督はたぶんそういう考えではないのか、 漫画のお笑いの部分は全部カットされました。 あ、前作の話です。 なので明るい諦観と暗い情熱の混ぜ合わさった雰囲気はなくなって、 暗い諦観のみになった。 今回もお笑いはなかった……お笑い……(←攻殻に何を求めているのか) それと愛情の仕組みが化学変化の結果だと言われても、 もうそこには衝撃や哲学的な何かは無いような気がします。 素敵で素晴らしい事だと思いこそすれ、大騒ぎすることではない。 それと同じで肉体を捨てた素子がかなり大仰に扱われているのが痒いです。 単にデメリットに比べて メリットと可能性が莫大だったからこその選択なのでは……? たぶん、4世代もゆかないうちに私達は、 パーソナリティを取るか、遺伝子を取るか、 肉体を取るかの三者択一を迫られるのではと思います。 このまま繁栄していくにはあまりにエネルギーが必要すぎる。 革命的な新エネルギーを発見するか、生活レベルを下げるか、 世界規模の出産制限をするか、 エネルギーがそれ程必要でない形態をとるか、どれかしかないでしょう。 義体化、人格のプログラム化は形態の変化にあたりますね。 例えばローマのレストランの子羊のロースト、 その味と歯触りを「完璧に」体験できるプログラムがあれば、 まあ私は満足です。固執はしません。 そうすれば旅客機の膨大な量のガソリンや子羊やレストラン等の箱、 列車の電力は必要なくなります。 何が重要かを厳選すると、 「体験する事&そして経験値により変化する事」になりました。私の場合。 パソコンの中のソフトやブックマーク、保存してあるメール、 文章、絵が大切なのであって、 パソコン本体が大切ではないことと似ています。 そりゃあメーカー不具合は壮絶に困りますけどね。 人はその形を人形に残して次の段階へ行くのです。 (監督は別の解釈を設定されてますけど、ええ。いいんです。 でもそうすると「Follow Me」とかバッチリ合うんですけどなあ) いま気付きましたが、トグサはキムを 攻性防壁避けの身代わりデコイ扱いをしていませんでしたか!? 人の良いキャラクタのような顔をして酷い奴だ!! 2004.03.28 サイトに掲載 2011.08.08 再掲載 戻る |