「ハサミ男」 立地の悪い、小さくて薄暗くてトイレの汚い映画館でした。 ファンとしては「先生の初めての映画化作品だから 少しでも空席を埋めなくては!なんなら5人分くらいチケット買って、 空気を入れて膨らます人形を並べて座ってもいいワ!」 とか思っていたのですが、案外お客さまが多かったです。 客層を見て確信しますのは、 「何でもいいから映画を見ようとして来た人は1人もいない! ここにいるのは殊能先生ファンばっかりだ!」 ということでした。 男性客率高し。1人客率高し。メガネ率高し。大きな鞄率高し。 私の隣にいた人なんかクィレル先生のコスプレをしていました。 いや、もしかすると民族か宗教かの理由かもしれませんが。 上映中はターバンとった方がいいよクィレル先生。 小説も映画もねたばれ。ともかく何もかもねたばれ。 (あと、例によって錯乱中) 始まって2秒で「またかよ!」心の中で絶叫。 この手法はヒッチコック監督のアレが祖先で、 ブラピ主演の最後爆発するやつが開祖、 ジョン・キューザック主演の最後農場で終わるやつが最高峰、 だと思いますが、最近映画のオチの10%がこれになりつつあるので もうそろそろやめてほしい。 うんまあ……「ハサミ男」をあのままの形で映像化するのは 絶対に不可能なので仕方がないのですが。でも他にあるでしょもっと。 (私の考える映像化不可能作品「十角館」「葉桜〜」「殺戮に〜」「ハサミ男」) (でもどれも「かまいたち手法」「きみしね手法」なら可能。と昔描きました) 良かった点 2人が呼吸を合わせて唱和するシーンは良かった。 「君の中に怪物はいない。なぜなら君自身が怪物だからだ」 トヨエツを使ったギャグも効いていた。 悪かった点 ラスト15分間すべて。 父親が実在生存していて、主人公には魂というものがなく、 傷つかず、知能が高く、計算も行動も早く、生命力も強い。 作品のラストでもう次の犠牲者に目星をつけている辺りが あの小説の尖ったところだと私は思うのですがどうでしょう。 「お父さんは私が嫌いになったから自殺したんでしょう?」 「そんなことないよ。チカ、愛しているよ」 「お父さんー」 「僕が消えたら、何もかも忘れるんだー。君は悪くないー」 ってハサミ男じゃねえよ!!こんなの!(バーン) ↑映画を見ていないハサミ男ファンの皆様の目玉が 今飛び出たであろうこと予想が付きます。ええ、そうなんです。 そしてなんかハサミは父親に捧げる十字架であったと、 何かそういう暗喩がありました。 映画的な浄化作用を付加したかったのでしょうけれど ……そんなものを求めてこの映画を見に行く人間は たぶん10人くらいしかいない。 済みません、別に殊能先生に確認したわけではありませんが(笑) 私はハサミの形は、あの小説の骨格である「交差する形」を表していると そう思っていました。だから先生は凶器をハサミにされたんだと 電波並の強い確信を今も持っています。 なので端的に言うと「十字架?ふざけんな」ですテヘ。 (可愛く言っても恐いから) ラスト15分切れば、それなりに良い映画でした。 追記: アベさんは、悪いことをするには身長がジャイアント過ぎると思います。 5年前に描いたハサミ絵。このシーンが一番好きです(映画でも一応あった)。 2005.07.02 サイトに掲載 2011.08.08 再掲載 戻る |